私はブログ活動に力を入れています。読者様・訪問者様の支えもあり、6か月間継続することが出来ました。そんなブログ活動ですが、6か月間継続できるのは4人に1人と言われています。
100人ブログを始めたら、半年後に継続しているのは25人だけということになります。
辞めてしまった75人の方たちに対して
- 辞めるのは勿体ない
という意見が多く見られます。
そんな意見に対して私は『何が勿体ないのだろうか?』と疑問に思います。そもそも私は継続することが美徳という考えは持ち合わせていません。正確に言うと昔は【継続=正しい】だったけど、現在は違うといった感じです。
しかし、多くの方たちは
- 辞める
- 継続しない
- 断念する
これらに対してネガティブなイメージを持っています。
そして何かを継続できなくて自己嫌悪に陥る方は非常に多いです。ハッキリ言います。辞めることは何も悪くありません。むしろ新しい生活の始まりなのです。
辞めることは新しい生活の始まり。
人間に与えられた時間は有限です。社会人ともなれば使える時間も限られています。ときには継続していたことを辞めることはあるでしょう。
何かを辞めることで新しい生活が始まります。こう考えるだけでもネガティブなイメージが少しは変わると思います。それに、継続する気がないことを無理に継続するのは時間の無駄です。
そんな生活はさっさと辞めてしまいましょう。
辞めないと新しいことはできない
新しいことは始めたいのに時間の問題でできない場合があります。そんなときは何となく継続していることは辞めてしましましょう。辞めれば新しいことを始められます。辞めることで新しい生活が始まります。
代わりの何かを始める必要はない
辞めても何か別のことを始める訳でなない。こういう方もいるかもしれません。別に何かを始める必要もない。
やりたくないことを継続するより、のんびりと過ごした方が性に合うのなら、そのような生活を過ごすことは悪くありません。見方を変えれば【のんびりと過ごしたい】がやりたい事なのですから。
何をやっても続かない
何をやっても続かない。このように嘆いている方たちが多く存在します。
そのような方たちに対しては、
- 続ける必要が無いことを続ける必要はない
- 続ける必要が無いことを続けるのは時間の無駄
- 辞めて正解・違うことをやろう
とアドバイスします。
続かないことは
- 仕事
- 趣味
- 習い事
などでしょうか?
仕事は生活が立ち行かなくなるなどの事態にならなければ辞めても問題ないでしょう。趣味や習い事に関しては議論するまでもありません。
そもそも、なぜ続かないといけないのでしょうか?
継続することが美徳とされている。耐え忍ぶのは正しいのか?
継続できなくて自己嫌悪に陥るのは、
前提として
- 継続する=正しい
- 辞める=間違え
といった認識が有るからです。この認識はどこから来ているのでしょうか?
耐え忍ぶは洗脳の一種
継続することが正しい。この認識は一種の洗脳と考えます。
- 意志の上にも3年
- 継続は力なり
- 塵も積もれば山となる
誰もが聞いたことがあると思います。
それぞれの意味合いは違いますが、どれも継続することの素晴らしさを説いた言葉です。実際に良い言葉だと思います。しかし、続けることが全て正しいとはなりません。
私たちは幼い頃からこの言葉を聞かされています。ご年配の方ほど傾向は強いでしょう。
辛い下積みが成功への道のように語られる
著名人のや成功者の下積み時代を聞かされると、
辛い経験を積んで継続すれば
- 成功が約束されている
- 明るい未来が待っている
かのように錯覚してしまいます。これも【辛い継続=美徳】に繋がっています。
確かに何かを達成するには辛い経験を継続させる必要が多々あります。しかし、その経験の先にあるものに対して情熱を失ったのなら何の意味もありません。
辞めると勿体ないに騙されるな
ある程度継続すると『今やめるのは勿体ない』という言葉を発する方が現れます。このような言葉を掛けられると、それが本当のように聞こえてしまいます。
先生や親にこの言葉を掛けられた経験が有る方は多いはず。また、それに対して『何が勿体ないのか?』と聞いたことがありますか?大抵は中身のない返答が返ってきます。
- 掛けたお金が勿体ない
- もうすぐ区切りだから
- みんなが続けている
などの答えが返ってきます。
掛けたお金が勿体ない
趣味や習い事にはお金が掛かることが多いです。辞めてしまうとお金が勿体ないと言います。これは逆ではないでしょうか?
すでに情熱を失っていることを継続する方がお金の無駄です。さらに継続することで時間まで失います。辞めれば別のことが出来るのに。
それに、辞めた瞬間に知識や経験が奪われる訳ではありません。使った分は残るのだから何も無駄ではないでしょう。
もうすぐ区切りだから勿体ない
習い事でよく聞くセリフです。
- もうすぐ〇〇級だから
- もうすぐ○○試験を受けられるから
- あと少しで卒業だから
などです。
多くの方は何故か区切りの良いところで物事を終了させようとします。小学校を卒業するまで頑張ろう。〇級になるまで頑張ろう。途中で習い事を辞めた方は必ず聞くセリフです。
しかし、その区切りには何の根拠もありません。続けたところで今後の人生に影響を与えることはないでしょう。与えるような事柄なら何も言わずに継続しているはずです。
【継続する気が無くなった=その程度のもの】なのです
習い事ではありませんが
私はFP3級と取りました。そして2級の勉強をしている途中で辞めました。ハッキリ言って意味がないと感じたからです。そして私の人生に何の影響もありません。
※FP=ファイナンシャルプランナー
みんなは続けている。辞めるのは勿体ない。
これは言うまでもありません。
周りと自分は違います。周りに合わせて、やる気の無いことを継続することに価値なんてありません。
継続できない理由は何?
何かを継続できなかった理由はいくつかに分類されます。
- 時間的に不可能だった
- 気分的に続かなかった
- 金銭的に続けるのが困難だった
- 病気や怪我で断念した
どれかに当てはまるでしょう。
③金銭問題や④病気・ケガで継続できなかった場合は残念です。非常に悔しい思いをすることでしょう。しかし、人に責められることはないし、自己嫌悪に陥るといった状況にはならないでしょう。
問題は①と②です。
時間的に続けるのが厳しいは充実している証拠
時間的に継続ができない。これは日々が充実しているからです。仮にそれが仕事であろうと。
やりたいけど時間的にできない。これは悔やんでも仕方が無い事です。やりたかったら何かを捨てましょう。辞めるものは、アナタの人生にとって優先順位が低いものです。
優先順位が低いことを辞めたからって、それに囚われることなどありません。
つまらないなら辞めよう。時間の無駄
気分的に何となく辞めてしまう。
- 飽きてしまった
- やる気が出ない
など。何となく継続する気力がなくなってしまった。
そんなものは辞めて正解です。つまらない苦痛な時間を送ることに、どんな価値が有るのでしょうか?さっさと辞めて楽しい時間を過ごしましょう。
引き止める理由は己の利益と自尊心のため
最近ではSNSなどで趣味や自己投資のアカウントを作って公開している方も多いです。私もブログ用のアカウントを持っていて、そこでブログの成長度合いなどを公開しています。
それらのアカウントですが、更新が途絶えることが多々あります。1年継続する方が珍しいのではないでしょうか?同時に『○○やめました』宣言を行う方も多いです。
私が界隈にいるせいか
- ブログアカウントの更新停止
- ミニマリスト辞めました宣言
を目にします。
それに対して界隈の第一人者?たちが言葉を発するのです。
己の利益の為に継続させようとする
『ブログを辞めてしまうのは勿体ない。』このような発信を見ると大抵は『ブログ運営を教えます』で飯を食っている方々です。
このような方たちは『正しい努力を継続すれば誰でも稼げる』などと発していますが大嘘です。どんなことでもお金は上位に集まります。スポーツと同じで上位の席を奪い合うのがブログです。
それに、辞めた人はもっと稼げることを見つけて辞めたのかもしれません。それを確かめずに何を言っているのでしょうか?自分の利益しか考えていない。だから、そのような考えには及ばないのでしょうね。
己の自尊心の為に継続させようとする
【ミニマリスト辞めました】宣言がネット上で見られます。
ミニマリストなんてただの生き方。思想の一種に過ぎないのだから、辞めたければ辞めるのが正解でしょう。止めたり反論する必要など一切ありません。
しかし、自分の価値観を否定されたかのように感じるのか?継続することの正しさを説く方たちも存在します。こうなると相手のことなど一切考えていません。
自尊心を高め、自分の価値を相手に知らしめることが目的になっています。そんな言葉に耳を傾ける価値などないでしょう。
多くのことを辞めたから今の私がある
私にも最後まで続かなかった経験は沢山あります。
- 仕事
- サッカー
- スイミング
- 釣り
- ビリヤード
- ダーツ
- ボウリング
- ゴルフ
- etc.
挙げればキリがありません。
今、仕事を辞めるのは勿体ないと言われた
私は24年間勤めた会社を辞めました。24年も継続しましたが、定年まで勤め上げることがゴールと考えると、最後までやり抜けなかったことになります。
色々と声を掛けられました。
- 今の収入を捨てるのは勿体ない
- 地元の大きな企業を辞めるのは勿体ない
- 上に行ける可能性があるのに勿体ない
などです。
確かに、今後の人生で私がサラリーマン時代より稼げることはないでしょう。仮に再就職しても、辞めた会社ほどの企業には就職はできません。
私はギリギリ出世レースに残っていました。かなり後続でしたが、別の部署などで経験を積めば一気に捲れるポジションです。出世の是非は別として、勿体ないという意見が出るのも理解できました。
しかし、全て会社に残る人の視点です。私は会社を辞めなければセミリタイアが出来ないのです。新しい生活が待っているのに、そこに飛び込まない方が勿体ないと思い会社を辞めました。
これはセミリタイアに限りません。他にやりたい仕事を見つけたら辞めていたでしょう。やりたいことをやれない人生の方が勿体ないですから。
辞めたから今の私がある
多くのことを辞めてきた私ですが、辞めたから今の私があります。
仕事を定年までやり抜かなかったからセミリタイアしている私がいます。一つの趣味を継続しなかったから多くのことを経験できました。
そして多くのことを辞めたからブログ活動が出来ています。全ての趣味を継続していたらブログ運営なんて到底無理です。時間がいくらあっても足りません。
何かを辞めるのは新しい生活の始まりです。前向きに考えましょう。
今後も何を辞めるかは分からない
何かを辞めることに抵抗がない私です。今はセミリタイア生活をしてブログ運営を行っていますが、気が変わればすぐに辞めます。ブログを辞めてYoutubeでゲーム実況を始めるかもしれません。セミリタイアを辞めてメチャクチャ働くかもしれません。
別のことがやりたくて時間が足りなければ、前向きに辞めていこうと思います。
辞めたから今がある。そう思える日々を送ろう。
どうでしょうか?継続できない。辞めてしまった。などに対して少しでもイメージが変わればと思います。継続できないからと言って自己嫌悪に陥る必要もありません。アナタの生活に合わないから辞めたに過ぎないのです。
何かを継続することは確かに素晴らしい事です。しかし、【継続しない=良くないこと】ではありません。むしろ辞めることによって新たな生活が始まります。
今現在、継続に悩んでいたら一度辞めてみては如何でしょうか?新しい生活が待っています。辞めるのは後退ではなく前進なのですから。